新規事業ができるまでをフェーズごとに解説!ヤマチユナイテッドの成長の旅路
多角化・新規事業
こんにちは、ヤマチユナイテッド代表の山地です。
昨今の世界情勢は、目まぐるしく移り変わっています。
それに伴い、ビジネスにおいても環境の変化が非常に激しいため、中小・中堅企業の経営者のみなさんの中には「事業の柱を増やしておきたい」と考える方も増えていると思います。
ヤマチユナイテッドは、今でこそさまざまな分野で事業展開し、現在も新規事業開発に積極的に取り組みながら連邦・多角化経営を進めていますが、始まりは建材卸売業一本の小さな会社でした。
私が入社してから40余年、常に順風満帆だったわけではなく何度か厳しい状況も経験しましたが、私たちは既存事業を軸にしながら時代に合わせた新規事業を興すことによってそれらの危機を乗り切ってきました。
今回は、ヤマチユナイテッドの成長の経緯をフェーズごとにお話ししていきますので、みなさんの新規事業開発の参考になる部分があれば幸いです。
目次
- ヤマチユナイテッドが多角化戦略に踏み切った理由
- ヤマチユナイテッドの初期戦略と新たな市場への挑戦
- 新規事業の成長フェーズへの移行!自社ブランド開発からのフランチャイズ化
- 新規事業創出の推進と未来への展望
- 新規事業ができるまでのフェーズを参考に、業績アップとリスクヘッジを同時に叶えよう
ヤマチユナイテッドが多角化戦略に踏み切った理由
ヤマチユナイテッドは北海道札幌市を拠点とし、住宅産業を中心に50以上の事業を展開する企業グループです。
1958年に建材卸事業からスタートし、現在では住宅建築、リフォーム事業、インテリアショップ運営、イベントプロデュース、カフェ運営、機能改善デイサービス事業などに取り組む一方で、住宅事業や機能改善デイサービス事業においてはフランチャイズ展開も行い、2024年6月現在では50を超える事業を手掛けています。
ヤマチユナイテッドが掲げるパーパスは「北海道から色んな世界を変えていく」。
私たちグループ全体で抱くのは、「ユニークで多様な事業にチャレンジし、連邦・多角化経営で北海道から色んな世界を変えていこう」という強い想いです。
事業を通じてお客様のライフスタイルを変える、地域社会の生活を変える、業界の常識を変える...。
「世界」についてはさまざまな解釈が可能ですが、変える方向にはいつもその世界に属する人たちの「幸せ」があるべきだと考えています。
このパーパスと共にあるミッションが、100の事業を立ち上げ、100人の事業責任者を創出する「THE 100VISION」です。
事業を多角化し、連邦経営化する。
全員参加の経営で社員が成長し、会社も成長し、経営が楽しくなる。
顧客、社員、協力会社、自社、地域社会、みんなが幸せになる未来を実現しようとするのが「ヤマチユナイテッド100VISION経営=連邦・多角化経営」です。
ヤマチユナイテッド代表・山地 章夫について
現在グループ代表を務める私、山地 章夫は、1982年に父が経営していた建築資材の卸問屋に入社しました。
中堅の建材商社として北海道を中心に事業を展開していましたが、当時は流通にさまざまな変革が起こるなか「問屋不要論」が叫ばれており、すでに業界の成長は見込めない環境にありました。
流通が発達するにつれ、卸問屋が担う在庫管理、配送といった部分をメーカー側でできるようになり始めていた時代です。
そもそも卸売業はメーカーと違って粗利益率が低く、薄利多売のビジネスモデルでした。
加えて、この頃は売掛金の回収に手形を用いるのが主流でしたから、不良債権化した場合の損失が大きく、だからといって手形取引をやめると競合に顧客を取られてしまうため、急に取引条件を変えることもできない。
こういった背景があって主力の建材卸事業は粗利益率が低い上に業界も頭打ちとなると、すぐに会社が傾くような経営状況ではなかったものの、私自身は会社の将来性に不安を感じざるを得ませんでした。
卸売業のウィークポイントである「粗利益率の低さ」「手形取引のリスク」をカバーするため、「収益性が高く、取引条件が低リスクで財務体質の改善が見込める事業」、かつ「将来性を鑑みた事業」にシフトするにはと考えると、やはり新しいことを始めなくてはなりませんでした。
そこで、元々関心があった事業開発に着手して「私は『創業型の後継者』になろう」と決意し、新規事業を模索しはじめたのです。
ヤマチユナイテッドの初期戦略と新たな市場への挑戦
ヤマチユナイテッドの新規事業開発について、これまでの流れをご紹介します。
【ヤマチユナイテッドの初期戦略】レンタル事業からイベントレンタル事業へ
ヤマチユナイテッドが社内で新規事業立ち上げに試行錯誤する一方で、新たな成長分野の可能性を探るなか、多角化の第一歩として踏み出したのがレンタル事業です。
1985年、私たちはレンタル事業のフランチャイズに加盟し、子どもの学校行事を記録するビデオカメラや旅行に持っていく大きなスーツケースなど、当時は高価で特別な時にしか使わない家庭用品を一般の方に貸し出す会社を作りました。
なぜレンタル事業だったかというと、シンプルに「現金商売で高粗利益率ビジネスだから」という理由です。
しかし、時代とともにこういった品物は一般家庭に普及するようになり、需要は減っていきました。
ですが、ビデオカメラやスーツケースなどの代わりに、運動会や地域のお祭りで使うようなテントや紅白幕、音響機材、綿あめ製造機などの受注が増えたため、後年フランチャイズを脱退し、改めて自社でイベントレンタル業をやっていくことになりました。
これが現在、当グループでイベント事業全般を手がける「アンカー」という会社のはじまりです。
【ヤマチユナイテッドの新たな市場】輸入建材の卸売業から住宅建築への挑戦
イベントレンタル業を設立したころ、「アメリカで建材を日本に輸出したがっている会社がある」という情報が入ってきたので、私はすぐに手を挙げました。
学生時代、数カ月にわたってアメリカを旅したことがあり、大型戸建住宅のアメリカンハウスや、そこで暮らす人々の豊かなライフスタイルに大きな憧れを持っていたからです。
その会社のビジネスモデルは、アメリカでよく見られる大型の家に使う床材や窓、キッチンなど丸ごと一棟分輸出するというもの。
私はこの会社に出資することで、相手方の代表であるリチャード・ジョンソン氏らと共に日本向けの建材輸出会社「ザ・ジョンソングループ」の設立に参画し、同社の取締役に就任しました。
国内の建材では競合他社と同じ商品を売るためどうしても価格競争に巻き込まれてしまいますが、北海道初の輸入建材を扱うのであれば差別化ができますし、メーカー的な立場で定価を自社で値付けできるので粗利益率も飛躍的にアップします。
また、海外メーカーへの支払いは現金払い、しかも先払いに近いタイミングで求められるので「自社独自のオリジナル商品ですから」と売り込むことで、取引条件も改善していくことができると考えました。
実際、この目論見が当たって輸入建材の卸売業は大きな利益を生むことになるのですが、最初のころは全く売れませんでした。
今でこそよく耳にするアメリカの「2×4(ツーバイフォー)住宅」ですが、建材の規格が日本と異なり、建設ノウハウも少なかったため国内の一般の工務店にとっては扱いにくかったのです。
そのような中、私のもとへ「渡りに船」ともいえるような売り込みがありました。
2×4工法の経験を持つ工務店が倒産し、そこの従業員7名が「自分たちを使ってほしい」とやってきたのです。
建材の輸入と販売を事業の柱としていたこともあり、最初は断ろうと思っていましたが、「輸入したものをそのまま建てることができれば建材自体も売れるようになる」とひらめきました。
そして、1987年に生まれたのが、アメリカンハウスの輸入と建築を自社で一括して行う「ジョンソンホームズ」でした。
この新規事業は広大な敷地を持つことができる北海道の土地に見事にマッチし、富裕層を中心に注文が相次いで大成功を収めた結果、私たちは「輸入住宅といえばジョンソンホームズ」という立ち位置を獲得することができました。
新規事業の成長フェーズへの移行!自社ブランド開発からのフランチャイズ化
ジョンソンホームズは、既存事業をブラッシュアップすることで生まれた新規事業であったといえるでしょう。
建築棟数は年々伸び続け、順調にやってきたところで事態は急変。
1997年、北海道拓殖銀行の経営破綻によって道内は一気に不景気になり、高額な輸入住宅はさっぱり売れなくなってしまいました。
スタイリッシュなデザインで、まるで映画に出てくるようなたたずまいの豪華なアメリカンハウス、そのニーズ自体が失われつつありました。
業績を回復するためにはもっと手軽でもっと買いやすく、なおかつ当社のオリジナリティを表現できる商品開発をしなければなりませんでした。
【ヤマチユナイテッドの新たな挑戦】フランチャイズシステムの開発
時代は少しさかのぼりますが、1990年代に入ってから、当社では輸入住宅を普及させるために加盟店さんや工務店さんを募って、同じ輸入建材を使った新しいブランドを作ろうという研究会のようなものを開いていました。
このような素地もあったので、私たちが次に考えたのは住宅パッケージの販売、つまりフランチャイズシステムの開発です。
バブル崩壊後は住宅事情が落ち込み、北海道だけでなく全国的にアメリカンハウスが売れなくなっていましたが、それに代わって、北欧風やイングリッシュ、フレンチといったヨーロピアンスタイルが流行の兆しを見せていました。
そういったデザインに当社の住宅建築のノウハウや輸入建材、流通ルート、当時持っていたパネル工場の製品を組み合わせ、さらに一部インテリアの輸入もやっていたことから住宅とインテリアとのセット提案も含めて、グループ内の法人の垣根を越え、総力を挙げて商品開発に取り組むことにしたのです。
そうして2000年に出来上がったのが「インターデコハウス」というフランチャイズシステムです。
性能やおしゃれ感は残しつつ、コストを大きく抑えながらもカーテンや照明など住むために必要な設備は全部パッケージに含まれています。
ジョンソンホームズは、直営店としてすべての商品をインターデコハウスに切り替え、建築棟数を再び伸ばしたことに加え、建築材料とノウハウを道内のみならず道外の工務店にも供給することで全国に打って出ることができました。
当時の輸入住宅の坪単価は80万円から100万円と、この時代にしてはかなり高級路線を取っていたのですが、インターデコハウス開発当初の目標は坪単価60万円くらい。
それがコストダウンの努力を繰り返すうち、最終的に坪単価37万7,000円まで抑えることができました。
そのため、業界の反響は非常に大きく、一気に加盟店数が増えたのです。
こうしてヤマチユナイテッドは、建材卸から住宅事業、先述したイベントレンタル事業へと新規事業を開発してきたことにより、業績はだんだん伸びていきました。
これ以降、海外の建築資材メーカーやイベント用テントメーカーの日本代理店になったり、オリジナル家具の販売を始めたり、インテリアショップを開いたりと新たな挑戦を続けていましたが、私たちはまた次の大きな節目を迎えることになります。
2007年にオープンした「inZONE with ACTUS(インゾーネ ウィズ アクタス)宮の森店」は、家具・インテリアの大手「ACTUS」と提携することによって生まれたライフスタイルショップ&ショールームです。
住宅事業、インテリア事業を手がけていると、当社で家を建てたお客様には「住宅のテイストに合った、センスの良い家具や雑貨に囲まれて暮らしていただきたい」という気持ちが高まります。
inZONE with ACTUS 宮の森店は、ハイセンスかつ上質な家具・インテリアを販売するとともに、住宅と家具・インテリアとを合わせたご提案ができるショールームの機能を持たせることを初めから念頭に置いて出店計画を練りました。
このショップで扱うブランドは中高級クラスのものが中心で、ユーザーも、商品の価格帯が高めであっても家具やインテリア、雑貨にこだわりたいという方が大半でした。
そのようなお客様の声を聞くと、逆に「この家具に似合う家を建てたい」というニーズもあることがわかりました。
それなら、inZONEの家具・インテリアが映える住宅商品を開発しようということで、住宅パッケージ「inZONE DESIGN LABO(インゾーネ デザイン ラボ)」という新しいブランドを立ち上げ、同年に販売を始めたわけです。
折しも、私の従兄弟が経営していた「ヤマチホーム」をグループ内M&Aのような形で合併することとなり、在来工法の建築ができるスタッフがジョンソンホームズに入社してきたところでした。
これまで2×4工法だけでやってきたジョンソンホームズに、間取りに自由が効く在来工法の人材と技術、ノウハウが加わりました。
それによって、例えば「このソファに合う間取りにしたい」「壁に大きな絵を飾りたいから、窓は上のほうに小さくあれば良い」といった要望にも応えられるようになったことは大きな進歩だったと思います。
【ヤマチユナイテッド新業態へ】参入の起点「inZONE」
「inZONE」は、ヤマチユナイテッドグループの新業態への参入の起点にもなりました。
inZONEのセンスを好む方々にはマンションを購入して自分好みの空間に作り変えたいと考える独身女性も多かったことから、マンションリノベーションのブランドとして「M+(エムプラス)」が誕生。
また、inZONEの世界観をもっと日常的に体感していただける場として、内装やインテリアにinZONEのイメージを反映させたカフェダイニング「inZONE TABLE(インゾーネ テーブル)」も開業しました。
建材から一歩進めて、住宅事業を始めた新規事業がジョンソンホームズなら、住宅を「ライフスタイル」というテーマでくくることによって住宅周辺のニーズをつかんだのが「inZONE」関連の事業です。
みなさんが新規事業をどうやって発想したらよいかとお悩みなら、既存事業をいろいろな角度から分析してみることをおすすめします。
inZONE事業について、もっと詳しく知りたい方はこちらのコラムもあわせてご確認ください。
新規事業の成功例をご紹介!偶然の出会いから生まれたinZONE事業
【ヤマチユナイテッドの事業展開】挑戦と成長を継続中!
ジョンソンホームズはその後、新ブランドとして「COZY(コーズィ)」「ナチュリエ」「ナチュリエスタジオ(現「The JOHNSON STORE Odori Studio」)」「アメカジ工務店」をはじめとした多ブランド展開を手がけ、ヤマチユナイテッドの中核事業へと成長していきました。
この多ブランド展開は、一つの会社の中にそれぞれ特色のある工務店が入っているようなもので、お客様ごとに異なるニーズに合わせてブランド開発をしていったという経緯があります。
ジョンソンホームズは、このほかにも不動産事業、リフォーム事業、家を建てたお客様に向けたインテリア事業など、周辺事業を次々と展開。
さらに、インテリア事業を活かしたカフェやバーガーショップの運営など、飲食業の分野も含めてライフスタイルビジネスを広げています。
フランチャイズに関しては、ジョンソンホームズの中で特に支持率の高い住宅ブランドにインターデコハウスで確立したフランチャイズシステムを適用し、ユーザーを全国的に広げることにも成功しています。
また、グループ内の別な法人が運営する機能訓練専門のデイサービス「きたえるーむ」がフランチャイズを含めて全国120以上の店舗を運営している事例もあり、私たちはさまざまな分野で多角化を年々進め、挑戦と成長を続けています。
新規事業創出の推進と未来への展望
ひとつの事業に絞るのではなく、売上数千万円から数億円規模の事業や会社を次々と興していく多角化経営。
複数の事業がそれぞれ独立採算管理されながらも、横・斜めのコミュニケーションで有機的に連結し、複数社・複数事業をひとつの会社のように運営する経営手法が、ヤマチユナイテッドが長年培ってきた「連邦・多角化経営」です。
これによってグループとしての総合力を発揮することが可能となり、相乗効果でさらなる事業へと発展させることもできれば、あらゆる危機や状況に対応することもできます。
事業を多角化し、経営者も社員も仕事を楽しめる組織を作り、連邦経営(グループ経営)をすることが安定した経営基盤を確立することにつながります。
このように多角化することで成長してきたヤマチユナイテッドの多角化経営の根幹は、「事業リスクの分配」にあります。
多角化すれば、環境変化によって不測の事態に陥り、ひとつの事業がうまくいかなくなっても他の事業でカバーすることができるからです。
私たちもこれまで、多角化していたおかげで何度も危機を乗り越えてきました。
さらに、多角化のメリットはそれだけではありません。
例えば「年商100億円の会社に育てたい」と思っても、ひとつの事業やブランドで伸ばしていくのはなかなか難しいのが現状です。
それでは1億円の売上の会社や事業ならどうでしょう。
比較的実現可能と思えるのではないでしょうか。
それが100個あれば、年商は100億円になるのです。売上10億であれば10個です。
このような「リスク分散」と「事業規模拡大」という大きなメリットのために、私たちは次々と多角化経営を推進してきました。
現在まで、興した事業数は120以上あります。
そのうち続いているのは50事業ほどですから、半分以上は失敗しています。
しかし、新規事業に失敗はつきもの。
「良い企画であればとにかく挑戦してみる」というような積極的な姿勢が事業全体をスケールさせ、将来に起こるであろう不測の事態に備えるということに繋がっていくと考えています。
業績が頭打ちになってきている会社や、単一事業でリスクヘッジに不安がある会社の経営者の方々は多角化に着手すべきです。
とはいえ、ただでさえ忙しい経営者にとって、多角化を考えるための時間や体力の余裕はないと感じるかもしれません。
うちが多角化した当初は、経営者である私自身が事業を考え、事業計画を作り、それをトップダウンで指示する形でした。
しかし、いかに経営者が働いたとしても、いくつもの事業を1人で回すキャパシティはありません。
そのことに気づいた私は、今後も継続的に多角化を実現するため、従業員に事業を任せることにしました。
すべてを「丸投げ」したのです。
それが「連邦・多角化経営」のはじまりでした。
それからは社員に経営計画を練らせ、責任者としてすべてを任せたことで、その事業も社員も大きく成長していきました。
でも、ただ丸投げするのでは組織はうまく機能しません。
多角化においては採用活動や人材の育成も非常に重要なのです。
ヤマチユナイテッドでは、事業を任せられる人材を若いうちから育てる仕組みとして「システム経営」を導入しています。
この手法では、任せた事業を独立採算とし「自主計画」「自主管理」「自主分配」の3つの方針を掲げています。
この独立採算制により、儲かったら自分たちで利益分配できるという大きな目標が生まれます。
この仕組みこそが社員のやる気を促し、さらなる新規事業を推進する原動力となっているのです。
システム経営を成功させるためには、上記のような3つの自主システムをワンセットで実行することが重要となってきます。
計画づくりなどは社員に任せても、お金が絡む成果分配は社員にやらせないという会社もあるようですが、それでは意味がありません。
いかに社員に任せ、やる気と主体性を引き出すかがポイントです。
私たちは採用や人材育成も含め、連邦・多角化経営の手法やノウハウを中小・中堅企業のみなさんにお伝えすることで、共に世の中を元気にしていけたらと願っています。
こちらのコラムもあわせてご確認ください。
事業拡大のメリットとは?拡大方法・リスク・成功事例を知って成功へ
ヤマチユナイテッドのミッション「THE 100VISION」と未来への展望
ヤマチユナイテッドがミッションとして掲げている「THE 100VISION」。
以前までの「THE 100VISION」には、あえて達成期限を設定していませんでしたが、2023年秋に「2030年までに達成しよう」と宣言しました。
6年ちょっとで50近くの新規事業を軌道に乗せなければなりませんから、現在はグループ一丸となって既存事業をブラッシュアップしつつ、新規事業の開発および人材の育成がよりスピーディに進むよう取り組んでいます。
初めにご紹介した「北海道から色んな世界を変えていく」というパーパスにのっとれば、「世界」を変え、良い取り組みを増やして一人でも多くの人を幸せにし、世の中に貢献していくためには、事業規模を広げていくことによってヤマチユナイテッドの影響力とインパクトをより増していかなければなりません。
そうして2030年には、地域に必要とされるような事業体、いわゆる地域のコングロマリットとして、私たちヤマチユナイテッドは存在していたいと考えています。
新規事業ができるまでのフェーズを参考に、業績アップとリスクヘッジを同時に叶えよう
ヤマチユナイテッドは、北海道札幌市を拠点とし、住宅産業を中心に50以上の事業を展開する企業グループです。
1958年に私、山地 章夫の父が営む小さな建材卸事業から始まりました。
現在では、住宅建築、不動産事業、リフォーム事業、インテリア事業、イベントプロデュース、機能改善デイサービス事業などを展開。
さらに、インテリア事業を活かしたカフェやバーガーショップの運営など、飲食業の分野も含めてライフスタイルビジネスを広げ、2024年6月現在では50を超える事業を手掛けています。
特に支持率の高いブランドはフランチャイズシステムを適用してユーザーを全国的に広げ、グループ内の別な法人が運営する機能訓練専門のデイサービス「きたえるーむ」もフランチャイズ展開によって全国120店舗までに成長しています。
多角化経営の大きなメリットは「リスク分散」と「事業規模拡大」、そして「売上アップ」も挙げられます。
年商100億円という目標を1つの会社で達成するのは難しいですが、年商1億円の会社や事業を100個作るのは比較的実現可能と思えるのではないでしょうか。
事業を増やすとなれば、そのすべてを経営者が1人で担うのにはやがて限界がやってきます。
だったら社員に任せれば良いのです。
ヤマチユナイテッドが採用する「システム経営」では、任せた事業を独立採算とし「自主計画」「自主管理」「自主分配」の3つの方針を掲げています。
そして、事業を任せられる人材を育てるには、採用活動と育成制度にも力を入れることが重要です。
私たちは採用活動や人材育成も含め、連邦・多角化経営の手法やノウハウを中小・中堅企業のみなさんにお伝えすることで、共に世の中を元気にしていけたらと願っています。
新規事業を開発する時間がない、人手がないとお悩みの方こそ、システム経営を導入すべきです。
人材が育つまでにはある程度時間がかかりますから、始めるなら早いほうが良いでしょう。
もし興味があれば、当グループが主宰する「連邦・多角化経営実践塾」へのご参加もご検討ください。
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Authorこの記事の著者
ヤマチ連邦多角化経営実践塾 塾長
山地 章夫
ヤマチユナイテッド代表。経営を楽しみ、社員700名、50事業・年商256億円の企業グループの舵を取る。本業を中心に事業を次々と立ち上げ、売上げを積み増す「連邦多角化経営」を実践。経営の安定化と人材育成を両立する独自の経営手法が、多くの中小企業経営者の注目を集める。